信念を見失わない程度の生活って昨日書きましたが、これは凄く難しいかもしれません。
自分の信念の現実的な仕事や意識等に順ずれる領域で生存している場合は、その信念を心の核に温存して我慢して生きる、又は信念が開花する好機を来る事を信じ一歩づつゆっくりとでも歩んで行ける。
多少のぐらつきや迷いが生じても、信念が心に芯をつくり色々な外的を跳ね返せる力を作り出せる。
しかし、自分の持つべき信念を少し見失うと、ぐらつきが生じる。こうなると大変どす。信念を見失うと、色々な外的が矢のように中心部に侵入しよります。
理屈っぽいの・・・・
人が生まれて来た使命は、それぞれに必ずある。はず。きっと。
それは、その本人の心の充足度の小さな領域から、個の意思を越えた周辺への大きな影響力を波及させる大きな領域の場合もある。でもその中心は今生きている個の持つ意志の問題であり、その意思をはっきり理解しているか否かにより大きく変わってくる。
何が変わるかって? すべて・・・・・?
「わがたどりつつある道は、果してわが本心にかなう道であろうかという疑問がうまれた時。その疑いをはらすことが人の目的となる」
「音楽したい」「絵を描きたい」「ツーリングしたい」「人里離れた田舎に住みたい」「畑したい」
「多少の金欲しい」ふわ〜・・・・これは現世現代が人に与える生きて行くための仮のテーマかもしれない。
六角堂へいざ・・・。
つづく・・・・・・・・・